For RENTAL Only



草木も眠る丑三つ時。
空調の整っているはずの部屋の温度が急激に下がったような気がした。
足元から這い上がってくるような冷気に、ようやくまどろみかけていたジェレミアの意識が覚醒する。
真夜中に冷気をまとって現れるものと言えば幽霊と相場が決まってはいるが、ジェレミアはそんな非現実的なものは認めない。
幽霊などという非現実的なものよりも、もっと現実的で、もっと恐ろしいものが近づいてきていることを敏感に察知したジェレミアは、ベッドの中で蹲ってガタガタと大袈裟なほどに震えだした。
隣の部屋から続く寝室の扉が音もなく開かれて、密度の濃い冷気がしんしんと部屋に流れ込むと同時に、その冷気をまとった恐怖の大王は、ゆっくりと、しかし、一歩一歩確実にジェレミアに近づいてくる。
その姿をいちいち視覚で確認しなくても、それが誰なのか、わからないジェレミアではない。
ジェレミアがもっとも敬愛し、畏れ、恐怖する人物はこの世界に一人しかいないのだ。
しかし、普段なら、ジェレミアはこれほどまでに恐怖しない。
怯える理由は、その人物がまとっている気配に怒りの冷気を感じたからだ。

「ジェレミア」

聞きなれた声で静かに名前を呼ばれて、ジェレミアの恐慌は頂点に達する。
その声は、明らかに機嫌の悪い時のルルーシュの声だった。
なぜルルーシュの機嫌が悪いのか、そんなことは今のジェレミアにとっては問題ではない。
不機嫌な理由に心当たりがあろうがなかろうが、ルルーシュの機嫌が悪いという事実に変りはなく、例えその原因が自分になかったとしても、八つ当たりとも取れるとばっちりを、これまで数え切れないくらいに被っているジェレミアは、不機嫌なルルーシュの前では怯えるしかできなくなっている。
当然、理由など、考える余裕などあるはずもない。

「起きているんだろう?」

いつまでも蹲っているジェレミアに苛立ちを募らせたルルーシュの声は、氷点下の冷たさが感じられる。
このまま返事を返さなければ、その機嫌が更に悪化することは明白だった。

「・・・ル、ルルーシュ・・・様?」

恐る恐る顔を上げて、薄闇の中で主君の顔を見上げれば、口許に薄い笑みを浮かべたルルーシュの目は笑っていない。
その背後には北極並みの寒波を伴ったブリザードが吹き荒んでいるように見えるのは、ジェレミアの気のせいだろうか。
「ひぃぃぃぃッ」と、悲鳴を上げて、その場から逃げ出したい衝動に駆られたジェレミアだったが、そんなことは許されるはずもなく、

「な、なにか・・・私に、御用でしょうか?」

精一杯の勇気を振り絞って、平静を装ったつもりのジェレミアの声には激しい動揺が滲み出ている。

「・・・なにをそんなに怯えているのだ?俺になにか疚しいことでもあるのか?」
「や、疚しいことなど・・・ご、ございません!」

ルルーシュの問いかけに、慌ててそう答えたジェレミアには、ルルーシュが不機嫌な理由に本当に心当たりがないのだ。

「では、なぜそんなに怯える?」
「そ、それは・・・」

ルルーシュの機嫌が悪いからだとは、流石に言い難いジェレミアは、口篭り、視線を外して無言になる。
その様子に、「まぁいい」と、こともなく返して、ルルーシュはベッドの端に腰を下ろして、横目でじろりとジェレミアを睨みつけた。

「あ・・・あの・・・」
「お前、俺に、なにか隠し事をしていないか?」

「まぁいい」と言いながら、ルルーシュの話の筋は変っていない。
気になることがあると、とことんそれに固執して、とにかくしつこいのだ。
しかしジェレミアは、ルルーシュの言う、疚しいことにも隠し事にも、まったく思い当たるフシがない。
例え隠し事をしたとしても、目敏いルルーシュにすぐに見抜かれて、くどくどと嫌味たっぷりの説教をされた挙句に、悪意に満ちた嫌がらせをしつこくしつこく、しつこ〜くされるのだから、ジェレミアは自分を窮地に追い込むような馬鹿なことをするはずがなかった。

「し、していません!ルルーシュ様に隠し事など・・・私がそのようなことをするはずがないことは、ルルーシュ様が一番ご存知なのではないですか」
「ふ〜ん・・・そうか?」

それでも、ジェレミアを見るルルーシュの目には、疑念がたっぷりと含まれている。
疑念と言うよりは、素直に白状しないジェレミアを、冷たい瞳で侮蔑しているのだ。
しばらく、凍てついた氷のような鋭い視線をジェレミアに向けて、それでも白状しそうにない様子に、わざとらしく大袈裟な溜息を吐いた。

「お前はもう少し賢い奴だと思っていたのだが・・・」

言いながら、携帯の端末を取り出すと、いきなりその画面をジェレミアの目の前に突きつけた。
画面の中には、少女と腕を組みながら微笑んでいる自分の姿が映し出されている。

「あ・・・」

途単に、ジェレミアの顔から血の気が引いた。

「これでもまだ、しらを切りとおすつもりか?」
「ち、違います!こ、これは・・・」
「随分と虚仮にしてくれるじゃないか・・・なぁ、ジェレミア?」
「で、ですから・・・これは・・・」
「なにが、どう違うんだ?ここに来る前に、C.C.にも警護に当たっている奴らにも話を聞いたが、お前が口止めをさせたそうじゃないか?俺にこのことを黙っていろと・・・覚えがないのか?それともあいつらがよってたかって俺に嘘を吐いているのか?」
「そ・・・それは・・・」

確かに、ジェレミアがC.C.や警護の兵士に口止めをしたことは事実だった。
しかしそれは、ルルーシュを騙そうと思ってしたわけではない。
報告の時に自分の口から直接ルルーシュに事情を話したほうが良いと判断したからだったのだが、他の事に気をとられていたジェレミアは、うっかりとそれを話すことを、今の今まで忘れていたのである。
結果的に、余計に話が拗れることとなってしまったわけだが、それは自分の落ち度なので仕方がない。
過ぎた事を今更悔やむよりも、目の前で拗ねているルルーシュの誤解を解くことの方が、今は先決だった。

「わ、私の話を、どうか・・・お聞きください」
「言い訳とは見苦しいな・・・」

無表情な顔を明後日の方向に向けたルルーシュは、ジェレミアの話など聞くつもりはないらしい。
それでもジェレミアは必死だ。
話を聞いてもらえなければ、誤解は解けない。

「ルルーシュ様・・・お願いです。どうか、私の話をお聞きください・・・」

涙混じりに訴え続けるジェレミアに、「ふん」と鼻を鳴らし、

「・・・仕方がない。見苦しいお前の言い訳を一応は聞いてはやるが、・・・覚悟はできているんだろうな?」

ルルーシュはおもしろくなさそうな顔を、ジェレミアに向けた。





「・・・実は、今日お会いしたそのお嬢さんは、私の知り合いのお嬢さんでして、彼女の父親とは親の代から親交も深く、小さい頃から妹のように可愛がっていたのですが・・・」
「知り合いの娘だから過剰なサービスをしたのだとでも言いたいのか?」
「それもありますが・・・」
「馬鹿者!知り合いだろうが、親、兄弟だろうが、商売に私情は禁物だ!」
「いえ、それだけではないのです・・・どうか続きをお聞きになって、それから、どうかルルーシュ様のご意見をお聞かせ願えないでしょうか?」
「・・・まぁいい。続けろ」
「はい」

ベッドの上で畏まったジェレミアの話は、延々と続いた。
気がつけば、窓の外が白み始めている。

ジェレミアの話によれば、彼女の父親は元貴族で、人当たりの良い温和な人物らしく、多方面に顔が広かったらしい。
そのコネを利用して事業を始めたのが数年前なのだが、あまりうまく行っていなかったところにきて、ルルーシュが貴族制度を廃止したことにより信用を失い、それまで続けられていた融資が次々に打ち切られ、終には多額の負債を抱えて倒産してしまったというのだ。

「元々その人物に商才がなかったのだろう。商売というものは人が良いだけではやって行けないものだ。それを俺の所為にされても困るが・・・」
「誰もルルーシュ様の所為だとは言っておりません!」

莫大な借金を抱えて途方に暮れていた一家に、朗報が飛び込んできたのは一月ほど前のことである。
ろくな担保もなしに、父親の借金の肩代わりをしてくれるという人物が現れたのだ。
その人物は、やはり元貴族で、貴族仲間でもあまり評判の良くない男ではあったが、様々な事業を手広く手がけ、貴族制度が廃止になってからもその財力は少しも衰えていないという。
なぜそのような人物が突然融資を申し出たのか、最初は疑問に思い、半信半疑だったのだが、つい最近になって娘を嫁に欲しいとの申し出があったそうだ。

「よかったではないか。借財がどれくらいあるかは知らないが、娘一人の犠牲で家族が救われるのだから損はないだろう?」
「し、しかし、相手は五十を過ぎているんですよ!?それではあまりにもかわいそうではありませんか・・・」
「一家揃って路頭に迷うよりはいいだろう。不幸中の幸い・・・ラッキーというやつだ」
「しかし・・・!」
「そんなに気の毒だと思うなら、お前が持参金をつけて、その娘を嫁にもらえばいいではないか!」

突き放すような冷たいルルーシュの言葉に、ジェレミアは口を噤んで膝に当てた拳を握り締めた。
誤解が解けるどころか、ルルーシュは少女に肩入れするジェレミアに、完全に嫉妬している。

「お前が結婚したいと言うのなら反対はしないぞ?」
「わ、私は・・・そのようなつもりでは・・・ただ、昔少しなりとも世話になった人が困っているのを、なんとかしたいだけなのです。結婚する気など、ありません」

そう言ったジェレミアに、ルルーシュは胡散臭そうな視線を向けた。

「・・・では、お前がその娘の父親の借金を、肩代わりをしてやれば済む話ではないか?」
「そ・・・それができないのは、ルルーシュ様が一番ご存知なはず・・・ですが?」

ジェレミアの財産はルルーシュがすべて管理をしている。
資産を売却することはおろか、金銭の支出も自分の財産にも関わらず、ジェレミアが勝手にすることができない。
ルルーシュ曰く、

「お前が無駄遣いをしないように俺がしっかりと管理してやっているのだ。俺の親心に感謝しろ」

などと、都合のいいことを言ってはいるが、そんな仏心がルルーシュにないことはジェレミアが一番良く知っている。
結局ルルーシュは、「自分の物は自分の物。ジェレミアの物も自分の物」という考えなのだ。
皇帝になったルルーシュのお蔭で、不自由のない生活をさせてもらっているジェレミアは、それに関して、別段不満はない。
不満はないが、今回のように、急に資金が必要になったときに、いちいちルルーシュの許可をもらわなければどうにもならないというのは、ジェレミアにとってもどかしい以外のなにものでもなかった。
しかも、嫉妬しているルルーシュがジェレミアの申し出を素直に聞くかどうか・・・。
ところが、少しの間沈思したルルーシュは、ジェレミアをじっと見つめて、思いがけないことを口にした。

「・・・で、幾ら必要なのだ?」
「ブリタニア通貨で500億・・・ですが・・・」
「500億・・・」

ルルーシュが長く暮らしていた日本の通貨に換算すると、約5兆もの大金だ。

「・・・わかった。それくらいなら俺が用立ててやろう」
「・・・いえ、わざわざルルーシュ様にお借りしなくても・・・」
「俺が貸してやると言っているのだ!素直に感謝したらどうだ?」
「ですから、ルルーシュ様にお借りしなくても、500億くらいでしたらなんとか・・・」
「俺が貸すと言っているのに、お前はどうして俺に金を借りるのを嫌がるのだ!?」
「・・・た、高い金利を、取るおつもりでしょう?」
「安心しろ。年利200%などと無謀なことは言わない。お前には特別低金利で貸し付けてやる。・・・そうだな・・・120%くらいでどうだ?」
「た、高すぎですッ!!」

ルルーシュにとって、ジェレミアに嫉妬することよりも、儲けることの方が優先されるらしいことが、この一事からも窺える。
それはジェレミアにとってはショックなことだが、悲しむよりも、今は喜ぶべきことといわなければならない。
それにしても、金利が年120%とはべらぼうに法外である。

「ルルーシュ様・・・そんな法外な金利を取られては、私が破産してしまいます」
「・・・チッ、仕方がないな・・・」

ルルーシュは少し嫌そうな顔をしたが、ジェレミアに破産されては自分的にもあまり良くないと考え直したのだろう。

「それでは特別に無利息無期限で貸してやるとするか・・・」

思わず耳を疑うような好条件を提示してきた。
しかし、ジェレミアはそれを素直に喜ぶ気になれない。
なぜなら、

「・・・ルルーシュ様。お預けした私の財産を、使い込みましたね・・・?」

疑惑の眼差しを向けるジェレミアに、顔色一つ変えずに「なんのことだ」と、惚けているルルーシュだが、ジェレミアはルルーシュの使い込みを確信している。
それが証拠に、金銭のことに関しては人一倍細かいルルーシュが、無利息無期限で金を貸すことなどありえないのだ。

「誤魔化しても駄目です!一体何にお使いになったのですか!?」
「安心しろ。使ったのは預かったうちのお前の私財の方だ。家の財産にはまだ手をつけていない」

「まだ」と言うことは、いずれはそちらのほうにもルルーシュの魔の手が伸びると言うことだ。
私財だけでも決して少なくはないジェレミアの財産を、ルルーシュが一体何に投じたのかは、凡そ検討がつく。

「・・・ギャンブルですか?」
「人聞きの悪いことを言うな!ちょっと、先物に手を出して・・・失敗しただけだ」
「・・・ルルーシュ様ッ!」

先物市場は、ギャンブル的な要素が多分に含まれている。
だから、ジェレミアの予想が大きく外れていたわけではない。
金銭に関しては無頓着なジェレミアだが、多大な損失を出しておきながら少しも悪びれた様子のないルルーシュに、呆れたような視線を向けた。

「まぁ・・・そう目くじらを立てるな。俺とお前の仲ではないか。今回の浮気のことは大目に見てやるから、お前も細かいことは水に流して・・・」
「話の次元が違います!大体、私はルルーシュ様がお考えになっているような疚しいことなどしていません!」
「だが・・・金は必要なんだろう?」
「そ、それは・・・そう、ですが・・・」

結局ジェレミアは、ルルーシュに借金をするしか手がないのだ。
諦めて、項垂れているジェレミアを、ルルーシュは満足そうな笑みを浮かべながら見つめている。
さっきまでの嫉妬交じりの不機嫌な顔は、いつの間にか消えていた。
それでもルルーシュは、

「今回は大目に見てやるが、今度また勝手なことをしたら・・・わかっているだろうな?」

じろりとジェレミアを睨みつけて、釘を刺すことを忘れない。
白みかけていた外は、気がつけば完全に朝の空気に包まれていた。